piyopiyochan555の日記

うつ病闘病と日々の生活を綴るブログです。

再発

今年に入ってからは謎の体調不良が続いた。

極度の食欲不振、目眩、イライラなどで私はホルモンバランスの崩れによるものだと思っていた。婦人科へ行き、ホルモン剤をもらって服用するも生理痛は緩和されても、とにかく気持ちが悪い。確かに2ヶ月くらいは軽い悪阻のような副作用が出るとはいわれているが、3種類のホルモン剤全て合わなかった。おかしい…。今度は胃腸科で胃カメラ検査をした。軽い逆流性食道炎と言われたが、薬を服用しても改善せず。そんなとき、喉のつっかえについての広告を見た。メンタルだ…そう思ったときは時すでに遅く、会社へ行けなくなった。再発だった。

 

既に引っ越していたため、新しいクリニックにかかったが、処方薬を服用すると一気に食欲が戻ってきた。状態は少しずつ良くなっている。

 

この数ヶ月、仕事量はいっぱいいっぱいだった。ただでさえ産育休の人が次々と発生し、代替要員も来ない。上司もマネジメント能力はイマイチで、仕事してくれて文句も言わない人間に丸投げ。同僚も他の人には無関心。早帰りする人を詰る人さえいた。とにかくつらかった。

 

もちろん、私の性格にも問題はあった。同世代が育休に入るのに、私はどうして…と常に他人と比較していた。ただ、今回のことで自分には子育てが無理だということがハッキリ分かったし、他人と比較したところで自分には1ミリも得をしないということを身をもって感じた。

 

前回倒れた時とは比較にならないくらい、今回は本当につらかった。薬を自己判断でやめなければ、こんなふうにならなかったかもしれないと思うと反省してもしきれないが、「社会で生きていくために私にとっては必要なもの」と考えるしかない。

 

色々と吹っ切れたし、学びも多かったから良しとしよう。

転職

復帰後は多少の体調不良はありながらも、通常勤務に支障をきたすレベルではない状態を維持できていた。

しかし、会社が吸収合併されることとなり、上司は全て合併先出身者に変わり、元々一緒に働いてきた人たちの退職が相次いだ。

もちろん人事制度も変わり、給与は下がり、昇級のハードルも上がることとなった。また、本業以外にも注力することとなったため、出向の可能性もある。

以上のことを踏まえ、私は転職を決意した。

たまたま同業他社で採用を行っていたため、そこに滑り込むことができた。非正規での採用でお金の面ではかなり苦労したが、正社員登用を大々的に行うことがニュースリリースで発表されており、このチャンスに賭けてみることにした。なにより、終電間際まで仕事することも休日出勤することもない会社風土だったので居心地は良く、安定して働くことができた。

ここで、私は安心してしまい、服薬と通院を自己判断で止めた。これが後に最悪の事態につながるとは夢にも思わずに…。約一年半後、私は正社員となった。

復職

それから約5ヶ月間休職することとなったのだが、この失敗を機に自分の病気をきちんと理解する必要があると感じた。

そこで民間資格である、メンタルヘルスマネジメント検定Ⅲ種を受けることにした。

これは、体系的に学べるうえに、他のメンタル疾患についても理解を深めることができるため、できれば新社会人には進んで取得していただきたいと思う資格である。

自分の病気に向き合うことは非常に恐ろしいものである。私も自分がうつであることを認めたくなかったし、なるとも思っていなかった。

でも、事実を受け入れない限り、前へは進めない。なぜ、病気になってしまったのか?兆候はあったのか?など1つ1つ解きほぐしていった。

私の場合は恐らく母の死へのショックと昇格によるプレッシャーに押しつぶされたのが最大の要因ではないかという結論に達した。

 

2度目の復職チャレンジということで人事部との面談からスタートだったが、上記の取り組みが奏功し、あっさり復職は認められ、その後一年半その会社で働き続けることになる。

復職への道

私は復職を2度チャレンジし、1回失敗している。

休職に入ると同時に薬は変更となったのだが、1ヶ月もすると薬もだいぶ効いて体調も安定してきた。そして主治医に「だいぶ安定してきたので復帰したい」と伝え、2ヶ月で復職を果たすこととなる。

ただ、これは完全なる誤りであった。仕事を休んでいる分、他の人に迷惑をかけていることが本当に申し訳なかったし、私自身かなり焦りを感じていたのだ。それを払拭するための復職であったことは間違いなかった。

繁忙期に突然引継ぎもなく、休みに入ってしまった私を同僚たちは本当に優しく迎えてくれた。「頑張ろう」そんな思いを強くした。

しかし、そんな気持ちの反面、体調は良いとは言い難い日が続いた。特に通勤時間がかなりキツかったのを覚えている。そんなこんなであっという間に体調を崩し、一回目の復職チャレンジは失敗。再度休職に入ることとなる。

休職へ

最初に出された薬は副作用がひどく、仕事中もふらつくことがしばしばあった。吐き気止めも併用していたが、気持ち悪さは日に日に酷くなるばかり。

そんなある日、私は通勤中の電車内で気分が悪くなり、途中駅で下車することとなった。とにかく前が見えないのだ。異変に気づいた駅員さんに助けていただき、とりあえず駅員室で休ませてもらうこととなったのだが、顔色が相当悪かったのか救急車で運ばれることとなった。頭は朦朧としており、どこの病院に搬送されたのかも分からない。おそらくそろそろ始業時刻では、などという心配もしつつ、医師の先生に診ていただいた。結果的には貧血ということであったが、連絡なしに会社に来ないということで何度も携帯に連絡がきた。ようやく事情を話せるようになったのは10時過ぎ。さすがに今日は休むように、と言われ、点滴を打ってもらって帰宅した。しかし、後日この話をしたところ、主治医から「休みましょう」と強く言われ、私は休職することとなる。

うつになってしまった

私がうつ病と診断されたのは今から6年前のことである。

当時、めまいなどの体調不良に見舞われた私は内科や婦人科、あらゆる病院に診察へ行った。

しかし、どこの科でも異常はなく、最終手段として行ったのが心療内科だった。

問診から診察まで約40分くらい経った時、先生から「お仕事、お休みしましょうか」と告げられた。

色々考えた結果、とりあえず薬を服用することで様子をみるという結論に達したのだが、残業はしないように、と強く念押しされたため、翌朝上司に伝えることとなった。

一番悩ましかったのは父への打ち明け方であった。実はその一年半前に私は母を亡くしていた。

母は更年期障害によるひどいうつにより、自らの命を絶ってしまったのだ。私までメンタル不調になってしまったとどうやって伝えるべきか、かなり悩んだがストレートに伝えることにした。

父は驚きこそしたものの、「無理はするな」と強く言ってくれた。

翌日、上司に前日の診断と残業禁止について話をした。2人のうち1人から「やっぱりおかしいと思っていた」と言われたのを今でもハッキリと覚えている。当時の私は課内で一番古参の社員となっていたため、常に余裕のない状態だった。些細なことでもイライラしていたし、長年見てきた人からするとおかしいと思われていたのかもしれない。ともあれ、上司からも理解を得られたため、しばらくは定時で帰宅することとなった。